Month: 8月 2011

Posted by – 2011年8月30日

YUTAKA
齊藤 豊

生きてると、いろいろな縁に出会う。

その縁をどう捉えるか。

もらえることを期待するよりも、

与えることに意味を見出したい。

相手がどんな人であれ、その心持ちで対峙したい。

そのほうが、楽しいに決まってる。
縁

「チェルノブイリ・ハート」

Posted by – 2011年8月30日

YUTAKA
齊藤 豊

映画 「チェルノブイリ・ハート」 公式サイト

劇場情報

1986年4月26日
チェルノブイリ原発事故発生。
その事故により周囲に大量にまき散らされた放射線。
それは、その後この地に産まれた子供たちに大きな影響を与え、
心臓に重度の生涯を負った子供たちが増大した。
チェルノブイリ原発事故の影響で
生まれながらに心臓に重度の障害がある子供のことを
「チェルノブイリ・ハート」と呼ぶ。

マリアン・デレオ監督はチェルノブイリ事故から16年後の2002年にベラルーシに入った。
「ホットスポット」の村を離れない村民たち、病院、孤児施設、学校等、
被爆が次世代を冒す被害を取材した。
今もなお続く被爆被害の事実を追った渾身のドキュメンタリー。

チェルノブイリハート上映後トークイベント(IWJ代表・岩上安身さん主催)

ベラルーシのゴメリ州の甲状腺ガンの発生率は1000倍に増加、

新生児の80〜85%が何らかの障害がを持て産まれてくるという残酷な事実。

本編中の遺棄乳児院のほぼ全員が重度の障害のために見捨てられた子供たち。

そこには人間としての尊厳はなく、ただ「生かされている」だけの乳幼児たち。

当然、その子どもたちにも、僕たちと同じように感情があり、痛みも悲しみも同じく感じている。

ぬくもりとやさしさを、与えてあげたいと切に願わずにはいられない。

脳が頭蓋骨に収まらない「水頭症」に産まれた赤ちゃん。

脳はほとんど機能していないその赤ちゃんを、愛おしく抱き上げてあげるマリアン・デレオ監督。

短い時間でも、触れ合いぬくもりを与えてあげたいという想い。

どんな子供だろうと、いつなんどきも、愛を欲している。

この子供たちは、原発事故により、現在も未来も愛も奪われてしまっている。

僕たち日本も同じ道を辿ろうとしている。

そうならないために、世の中は変わらなければならない。

個人意識も変わらなければならない。

自分が変われば、まわりも変わる。

まずは、自分から。

追伸:たぶん多方からの圧力などで、この映画がDVDとして日本には出回らないと思う。

ウラン残土レンガ

Posted by – 2011年8月30日

DSC06178
丸山 堅太郎

こういうものが生活にまぎれていたら、積算値をとることに意味があるのかな。

それともこういうものを含めて、自然界の放射線値と呼ぶのかな。(皮肉を込めて)

分からないことがいっぱいある。

福島の子どもたちからの手紙

Posted by – 2011年8月30日

YUTAKA
齊藤 豊

「 私はふつうの子供産めますか?

 何才まで生きられますか?

 なんで私だけ転校しないといけないんですか?

 毎日、長袖、長ズボン、マスク、帽子で、

 とても暑い日も行っています。

 外でも遊べません。

 窓も去年のようには開けられません。

 私は二学期から転校します。

 あと七日間しか学校にいれません。

 とっても嫌で、とっても悲しいです。

 私の夢は、去年とまったく違います。

 放射能を無くしてほしいです。

 ふつうの子どもを産みたいです。

 長生きしたいです。

 もう、地震の国・日本に原発を無くしてほしいです。

 お願いします、私たちを守って下さい。」

= 小学5年生の女の子の手紙 =

福島県の子どもたちが政府に向けて書いた手紙です。

福島の子どもたちからの手紙(岩上安身さん出演ラジオ)

2011年8月17日[1 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

2011年8月17日[2 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

2011年8月17日[3 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

2011年8月17日[4 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

2011年8月17日[5 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

2011年8月17日[6 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

2011年8月17日[7 /7] 福島の子どもたちの声を政府に届ける集会&記者会見

核を求めた日本

Posted by – 2011年8月29日

DSC06178
丸山 堅太郎

隣国の脅威を抑止するための核。

持てばアメリカとの関係悪化。

そして唯一の被爆国としての国民感情。

どれも選べないから核の傘下。

時は流れて、

サブプライムローンのツケを世界が背負い、

アメリカが失速。

そのアメリカに一時距離を置いた民主党。

そこにつけこみ領有権を主張する隣国。

そして新しい民主党党首に野田佳彦氏。

国民不在でまた大事なことが決まってしまう。

支持率の上下でしか政治に参加出来ないのね~

たね蒔きジャーナル

Posted by – 2011年8月29日

DSC06178
丸山 堅太郎

8.25 高濃度の下水処理場汚泥などは石棺や地下バウンダリーの材料にすればよい

8.22 少なくとも50キロ離れた飯舘村までは人が戻れるレベルではありません

8.18 甲状腺の内部被曝

8.17 泊原発の営業運転、交付金支給規則変更、韓国の原発事情 1

8.17 泊原発の営業運転、交付金支給規則変更、韓国の原発事情 2

8.16 日本原子力学会という責任を逃れようとする人たち

8.15 沖縄米軍機墜落事故の放射性物質について

8.11 汚染度の低い廃棄物は家庭用フライパンになっても構わないという制度

8.10 小出裕章氏と現役学生・原子炉工学科の対話 1

8.10 小出裕章氏と現役学生・原子炉工学科の対話 2

8.9 1,2,3号機あわせれば広島原爆4000発分相当の核分裂生成物

8.8 新幹線で福島に着いた時、東京に比べ放射線が10倍に

小出裕章さん記者会見@沖縄2011/08/13

あきらめないぞ! “On lâche rien”

Posted by – 2011年8月27日

YUTAKA
齊藤 豊

魂におけるユートピア主義者、精神におけるノマドであれ。
私たちは皆「世界の市民」です。
私たちの闘いは同じ、夢も同じ、理想も同じです。
何も手放さないぞ!

北フランス出身のSaltimbanksのバンドより、
尊敬と友情と連帯をこめて。


関連記事:3軒茶屋40男辞典

鼓舞される ♪
音楽ってほんとスゲーな

エアブラシ

Posted by – 2011年8月25日

DSC06178
丸山 堅太郎

DSC06259
乾かし中。

中国・九州への道

Posted by – 2011年8月22日

DSC06178
丸山 堅太郎

長期間、休みをとることがなかなか出来ないでいたんだけど、相方の協力もあって、ついに休みをとることが出来た。そんな貴重な時間だからこそ、普段出来ない何か大きなことをやろうと思い、バイクに乗って墓参りと慰霊とお店まわりをやろうと決めた。これはその旅の記録です。私的な部分も多いですが、普段のブログからは感じることの出来ない面が伝われば嬉しいです。と言いながら、普段の延長に思われるかもしれませんが・・・


(東京~津山)編

22時30分、東京インターより東名高速に上がる。お盆の時期もあり車の数は多い。興奮しているからか仮眠は一時間しかとれず、考えても始まらないので無理やりスタートさせた。この日の目的地は岡山県津山市。7時間で着くらしいが、「本当か?」、と思いながらバイクを西へと走らせる。
DSC05942
静岡県の海沿いを走っていると満月が海を照らしていた。海原に照らされるぼやっとした光が、静かな波姿を浮き上がらせていて、とても幻想的だった。夜走りは都内が多いが長距離もいいものだと感じる。明るくなるまで満月が側にいた。
DSC05927
浜名湖にて休憩。午前1時だというのに給油する為に並ぶ。夜のテーマパークかと思えるほど人の数が多かった。給油の度に並ぶのはカンベンと思い、出来るだけ給油しない作戦に変更する。ブンまわさなければイケるでしょう。フォークにオイルがベタつくようになり、付着した砂がシールを傷つけないよう、こまめにフォークを掃除することにした。
DSC05928
順調に進めるかと思いきや、京都、大阪、神戸の手前あたりまで事故渋滞が激しくなる。一つの渋滞が20kmの長さ。そんなのが4つくらいあり、その度にすり抜けをしなければならない。午前4時から6時のこと。たいして寝ていないのできつかった・・・ 車のテールランプがサイケな柄に見えてきてトリップさせる。盆休みもあって普段車に乗らない不慣れなドライバーが予告なしに車線変更する。メットの中で毒づきながら突破。皆さんウインカーはだしましょうね。そしてへろへろになりながら、中国自動車道、西宮名塩SAに逃げ込む。ハーレーの集団が待ち合わせをしていて、少々うるさかったが構わずベンチで寝る。夜明けのコーヒーは苦かった。
DSC05935
ひたすら中国自動車道を西へ。中国山脈を切り開いた道路からの景色は、どこまで行っても山、山、山。自分にとっては新鮮で気持ちよく走ることが出来た。上月PAで最後の休みをとっていると、多摩ナンバーのZRX1100がやってきて、鹿児島へ行ってから四国へ渡り、本州へ戻ると言って去っていった。その言葉に「負けてられん」と自分を奮い立たせ津山へとのりこんだ。
DSC05937
画像は津山市を流れる吉井川。津山はかつての親父の実家があった地(今は道路拡張の為取り壊された)で、祖父の墓は今でも残っているので久しぶりの墓参りに訪れた。自分の故郷ではないのだけれど、子供の頃によく来たことがあるので、なんとなく道や商店街などは覚えている。バイクをホテルに停めて、花きり鋏、線香、仏花を携え墓へと向かう。お世話になっている叔母に電話をかけて、墓の前で待ち合わせをする。墓に苔が広がっていたので汗だくになりながら墓を洗う。人を洗うように優しく磨けと聞いたことがあるが、タワシで洗ったほうが気持ちいいだろうと思い、タワシでゴシゴシと洗う。まー汚れがよく落ちた。大量の線香をもくもくとあげていると、叔母がやって来たので、墓の前に座りいろいろと話し込む。心配してしまうのでバイクでは来て欲しくないことと、これから先、墓を守って欲しいという話がメインだったかな。どちらも耳が痛いが了解です。叔母と別れ、さびれた飲み屋で天ぷらをつまみにビールで撃沈し、この日は終了。久しぶりの墓参りは清々しい気持ちになることが出来た。


(津山~広島~防府)編

6時起床、7時出発。津山インターより中国自動車道に上がる。気温もまだ上がらず、風も心地よく、なにより道が空いていて、まー気持ちがええ。バイクってなんていいものなんだろうと強く感じる。リスキーな乗り物だけど、快適な空間に守られた、車にはない醍醐味がバイクにはある。昨日の疲れは一気に吹き飛んでしまった。北房JCTを左に折れ、岡山県の北から瀬戸内海に向かって南へと下る。岡山道は途中一車線になり、前に車が塞がるとしんどい走りだったが、標高の高いところでの景色はバツグンに良かった。時間があれば途中で下りたかったが、限りある時間のなかでは諦めるしかない。順調に南へと向かうと山陽道にぶつかる。右に曲がり次の目的地、広島へと向かう。
DSC05943
広島東インターから広島高速へと向かい東雲で下りる。おーッ! ついに広島まで来たんや! しかも新幹線ではなくバイクで。この時点でけっこう感動。テンション上がる。午前中なのに市内はヤン坊のバイクが多い。途中、路面電車に対してどういう距離感で走ったらいいのか、線路内に立ち入るタイミングなどに少々テンパル。目指すは広島平和記念公園だ。
DSC05955

DSC05947
バイクを停め、相当重い荷物をかつぎながら原爆ドームへ。訪れたのはこれで3回目。歳を重ねる度に感じ方も変わる。やはり当時の方々のことを思うと、今の日本の平和のありがたさに感謝の念が強くなる。当時の方々の犠牲の上に自分らは成り立っている。政治に失望しても、表現の自由があり、言論の自由があり、人権の半分は尊重されているように思う。時代に翻弄されて無念の死を遂げた人たちから比べたら、今の日本はまだまだ自由がある。不満も一杯あるけどね。
2011081410380000
どこの子供か分からないけど慰霊碑の前で。子供は未来の創造主だね。
DSC05968
原爆資料館にて。上空600mで爆発したところを模型にて表現している。どれだけ熱かったのか、どれだけ苦しかったのか、戦いを求めてもいない一般の人たちが、人体実験にされ亡くなっていく。こんなことを繰り返してはいけない。
DSC05967
気分の悪い代物。だけどこれを見て復讐の心は持ってはいけないね。感情的になるのをおさえる。
DSC05969
さぞ悔しかっただろうと、お察しします。自分の人生って一体何だったのかと思われながら亡くなられた方々。決意なき開戦へと持ち込んだ当時の内閣に、国民のことをどう思っていたのか今聞きたい。
DSC05970
慰霊碑と原爆死没者追悼平和記念館に参り、景色を心に焼きつけて公園を後にする。さあ広島のお店、Garlandへ行こう。
DSC05975
昼過ぎに到着! ようここまで来たと自分を褒めたい。
DSC05982

DSC06004
接客中が多く、ちょっと自分はお邪魔ムシ。
DSC06005
右から望月氏、百鳥氏。昼飯を百鳥氏と食す。気を使って頂いてお好み焼き屋を案内されたんだけど、観光客が一杯で入れず、それならショップのみなさんがいつも食している物を食べたい! と言ったらパンクなレコード屋でランチを共にした。イカしたレコード屋だった。百鳥氏は自分の行く先に対して、真剣に考えて答えを出し、それに向かって行動している。タイミングや思いが合致して、生き生きとされているように思えた。短い時間ではあったけれど、熱い思いに触れることができて楽しいひと時でした。

広島県広島市中区袋町6-19-1F
℡082-545-4620
Garland

帰り際、望月氏に道を訊ねたら、今日は宮島の花火があるので渋滞に巻き込まれるだろうから、廿日市から高速にのらない方がいいと助言を頂く。実際その通りでした。ありがとうございます!
DSC06006
廿日市の手前にある五日市から山陽道に上がり宮島SAで休憩する。画像は宮島SAからの風景。SAからも花火が見えるようで、建物の裏手には場所取りのシートが並んでいた。(きいちゃん五日市なんね、近く通ったよ!) そしてさらに西へと爆走。母方の祖母が暮らす山口県の防府を目指す。本州の西端の県だ。遠い! 
2011081420310000
画像は祖母。19時過ぎ、ようやっと祖母の家へ到着。祖母は物忘れがひどくなり、母親が一緒に住んで世話をしている。祖母は会ってすぐ、孫ではなく叔父が来たと思ったらしい。しばらくしたら分かってくれたけど。まあこればっかりは仕方ない。みんな平等に歳をとる。この日、母親がスーパーで買ってきた白身の刺身を食す。これがまたコリコリして美味かった。魚の美味い土地はいいなあ。亡くなった祖父を拝んでこの日はおしまい。


(防府~大刀洗~佐世保~長崎)編

6時起床、7時出発。天気予報によると九州の西側はほとんど雨。この日は佐世保や長崎へ行くので、いつ雨が降ってもいいようにゴアテックスのレインツナギを着込む。神戸往復のとき梅雨対策で買ったんだけど、たいした時間使っていなかったので、今日は本格的に使いそうな雰囲気。どこまで実用性があるのか楽しみだ。昨日までと同様に中国自動車道を西へと向かう。雲の動きが早い。東京のナンバーは見かけなくなった。福岡、山口、北九州のナンバーに囲まれ、遠くに来たことを実感する。次の目的地は福岡県筑前町大刀洗。
DSC06009

DSC06122
下関に入ると潮の匂いがして海が近いことを思わせる。目前に迫る山の向こうに土地がある気配がない。見えてきたぞ関門橋! 本州と九州を結ぶ橋。壇ノ浦を過ぎたら左端の車線を走り、関門海峡を眺めながらゆっくりと渡る。そしてついに九州上陸! テンション上がる上がる。バイクで九州? バイク馬鹿だねと自分を客観的にみる。走るのが好きだから仕方ないっしょ。そのまま九州道へ突入する。
DSC06010

DSC06037
福岡を過ぎて鳥栖JCTを左に曲がり、筑後小郡で下りて筑前町の大刀洗(たちあらい)平和記念館に到着。ここはかつての旧陸軍が東洋一を誇った、大刀洗飛行場があった跡地です。戦時中この一帯は、旧陸軍の大刀洗飛行場や航空教育隊、航空機工場などがあって、一大軍都として発展したそうです。特攻隊員はここで教育を受けて、鹿児島の知覧へ旅立っていった。旧陸軍にとって南方進出の最大の前線基地だった。しかし終戦間際の大空襲により壊滅的な被害を受けて、空襲後は飛行場も工場も焼失し、航空機基地としての機能を殆ど失い、終戦を迎えて飛行場は田畑に戻ったそうです。唯一の現存機である零式艦上戦闘機二号の三二型と、旧陸軍の九七式戦闘機が展示してある。(零式三二型のみ撮影可能) 昭和53年マーシャル諸島タロア島のジャングルで発見され、様々な困難を乗り越えて、昭和58年日本へ帰還した。
DSC06011

DSC06013

DSC06014

DSC06026

DSC06028

DSC06034

DSC06022
どのような思いで乗り込み敵に遭遇するまで何を思ったのか。迷いはなかったのか。強気な言葉の裏には国に対して疑問は持たなかったのか。勝ち目がないと分かっていて、少しでも打撃を与えられればよしとする考えに、己の命の重さが軽視されていると思わなかったのか。今を生きる者からしたら、投げかけたい言葉がいろいろと思い浮かぶ。様々な遺品や遺書に目を通し、20分ほどの短い映画を観る。映画を観ながら小さな子供の側で、不覚にも泣いてしまった・・・ この手のものに涙もろいのよ、おじさんは。時代に翻弄された人々のけなげな姿っつうか、なんつうか・・・ もうやりきれん思いです。
DSC06036
さあ、目一杯胸に刻んだので佐世保のお店、CL.1978を目指します。
DSC06040
長崎道に入ると雲行きがだんだん怪しくなり、ついに豪雨に見舞われる。バケツどころではない、プールをひっくり返したような雨が、バイクと体にたたきつけ、痛え痛えとメットの中で口にでる。始めはヒョウが降ってきたのかと思ったが、大粒の雨がそう感じさせるらしい。雷の鳴り方もひどくなってきたので金立SAへ逃げ込む。霧や靄、雲の動きがはやい。自然の美しさの裏には厳しさが必ず潜んでいる。道中の自然の美しさを思うと、そのことを目の当たりにしたと感じる。
DSC06039
しばらく様子をみていたが、状況は変わらないので気合いを入れて走りだす。前方が雨で見えないので、遅い車をみつけて後について走る。そんなこんなでやっと佐世保に到着! 高速から臨む佐世保の軍港は圧巻だった。やっと着きましたCLさん、東京から1300kmでした。入り口でCLの皆さんが待っていてくれました。いやいや、遠いところまで来たもんだ。会話しながらお店やバイクを見せてもらう。どれもライフスタイルの感性が統一されていた。
DSC06068

DSC06063

DSC06044

DSC06047

DSC06080
秘密基地のような部屋で永田氏と佐世保バーガーを食す。疲れた体にはもってこいのエネルギーとなりました。今度はベーコンバーガーに挑戦します。永田氏は本当に器用な人。何でも自分でやってしまう。もちろん無理なところは業者に頼むんだけど、やれるところまではやるっていう姿勢がいい。お店のこと以外でも、自分で道を切り開いていけるバイタリティーに感心する。しっかしこの部屋のソファーは居心地がよく、まったりとさせてもらった。長居していたら確実に寝てましたよ。楽しい時間でした。ありがとうございます! そしておきまりのCLポーズ。なんかやりたかったんだよね。
DSC06082

DSC06066
左から、Mr.YBD-47 Mr.USN-41 Mr.PMW-76

長崎県佐世保市谷郷町1-24
℡0956-22-9885
CL.1978

DSC06038
さあ、CLさんの見送りを受けて、気合い入れて長崎まで南下です。武雄JCTまで戻りひたすら長崎道を南へ! これでもかと雨は打ちつけたが我慢して走った。雨の中の運転大変だったけど、だいぶ鍛えられたと思う。いい練習になった。好んで雨の中の都内を走ったりしないからね。そして長崎市内へ入った。どしゃ降りの中の渋滞、路面電車の往来、エキゾチックな町の雰囲気、初盆の精霊船が道路に現れ、大量の爆竹の煙がつくりだす景色が、もう何というか、ブレードランナーの世界かと思わせる混沌ぶりで、とても刺激的だった。夜はどこも店がやっておらず、地元の人が行くようなラーメン屋で、ラーメンと餃子とビールで撃沈でした。


(長崎~山口)編

7時半起床、8時半出発。天気予報は雨だったが、外は日差しが強い。でも小雨がぱらついている。空は不安定なようだ。今日は長崎を発つ前に平和公園や爆心地公園、浦上天主堂に立ち寄る予定。ホテルから近い原爆資料館へバイクで移動し駐車場に停める。荷物の整理をしていると、バイクのナンバーを見て話しかけてくる人が数人いた。「品川? よう来たね。大丈夫?」 大丈夫です。暑さで頭はやられていません。

DSC06086

DSC06088

DSC06089
長崎原爆資料館ははじめて訪れる。広島より小ぢんまりした印象なのは気のせいかな。気分の悪い話だけど、当初の投下目標地は小倉だったらしい。天候が悪く旋回しながら3度試したらしいが、燃料がなくなり引き返す途中にある長崎を次の投下目標地にかえた。それでも雲が邪魔をして投下を断念したらしいが、一瞬の雲の切れ目が現れて投下に至ったという。人の人生がこんなことで左右されるのは腹立たしい。
DSC06090
オバマ大統領が、プラハの演説で核廃絶にむけて具体的な目標を示したけど、世界から核ミサイルがなくなることはないように思う。世界から核の脅威が消えた訳ではないのに、ノーベル平和賞がオバマ大統領に与えられたことは、期待を込めた思いがあったとしても、全く理解できないです。広島の原爆資料館で見かけた外人のカップルを、ここ長崎原爆資料館でも見かけた。その行動がよい方向に影響を与えることを祈ります。資料館を後にして爆心地公園と平和公園へ向かう。
DSC06094

DSC06095

DSC06101
高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っているそうです。慰霊碑と無縁死没者追悼祈念堂に参ってから、浦上天主堂へ向かう。
DSC06113

DSC06115
浦上天主堂は、昭和34年、原爆によって廃墟となった跡地に、当時の外観を模して新築された。天主堂はキリスト教の教会ということもあって、当時はその被爆した悲惨な存在が、原爆のむごさを世界に訴えていくのに、キリスト教徒が多い欧米諸国に対して発信力となると考えて、「第二の原爆ドーム」、として残すべきだと市議会では意見がまとまっていたそうです。そして当時の市長もそうするつもりだったらしいけど、突然、市長がアメリカを親善訪問して、帰国してからは一転、浦上天主堂は取り壊すべきだという意見に変わってしまい、旧天主堂は取り壊されて、今は再建したものが残っているそうです。アメリカを訪問した市長に対して、なんらかの圧力、取引が行われて、浦上天主堂を取り壊すよう仕向けられたのではという疑惑があるみたいだけど、詳しいことは本人にしかわからない。同じキリスト教の信者を多く抱えるアメリカにとっては、消したい過去の一つなんだろうと想像がつく。見えない力があるのだとしたら、天候不順で長崎になってしまったことは、アメリカに罪の意識を背負わせる為だと自分は信じたい。
hibaku5871
被爆のマリア
DSC06118
最後に原爆死没者追悼平和記念館に参り、九州での目的を終える。さあ、本州に戻ろう。次は山口のお店、Galleに向かう!
DSC06230
あとは来た道を戻るだけ。一度通った道はなぜか気が楽だ。やはり武雄のあたりまでは雨が降ったりやんだりで、その度に平均速度を変えた。不思議なもんで、トンネルに入るまでは雨が多くて、トンネルを抜けるとやんでいることが多かった。九州での走行はトンネルに助けられた。
DSC06127
またまた関門橋。九州とお別れだ。時間があれば鹿児島の知覧も行きたかった。Rickyが天草もいいよ~と教えてくれた。時間があれば・・・、時間、時間。何でも時間。限られた時間、どんな立場だろうと平等に与えられた時間。悔いないよう生きんとね。そして山口インター到着! 山口は、二日前に泊まった防府から30分の距離にあって、子供の頃何回か来たことがある。SLが走っているんだよね~ SLの汽笛が好きなんです。
DSC06129
いやいや着きました。Galleさん。 地下のCafeでゆっくりさせてもらいました。最後のランチおいしく頂きました。井藤氏とチーフのこだわりのアイスコーヒー、驚きの味です。余計なものを入れたくないのです。
DSC06150

DSC06151
井藤氏

山口県山口市道場門前2-4-12
℡083-928-2880
Galle

お店を見させてもらい夜の食事の約束して、それまでの間ホテルで休もうと再びバイクに乗ろうとしたら、急に雨が降り出した。雨男なんだろうか? 皆で食べる食事は楽しい時間でした! 時間はあっという間に過ぎていきます。この日は服を着たまま即寝でした。


(山口)編

12時起床。この日はバイクに乗らず体を休めることにした。この時点で1800km近く走ったことになる。まだ走れる気力はあるが、手首、足首、腰に疲れがたまっていた。クラッチでタコが出来るとは思わなかった。Galleの皆さんとゆっくり山口市内を観てまわる。
DSC06155
(春来軒) ばりそばを初めて食べる。4人で5人前。完食。
DSC06156
(茶蔵館) 手入れの行き届いた庭園を眺めながら珈琲を頂く。自然の音が耳に優しい。
DSC06162
(護国神社) 山口県関係の英霊を祀る。吉田松陰、高杉晋作など。本殿と脇にひっそりとあった少飛(少年飛行兵)の慰霊碑に参る。
DSC06163

DSC06170
(雪舟庭) 枯山水石庭。石の配置が見事。まさに宇宙!
DSC06183

DSC06178
(瑠璃光寺五重塔) これも一種のお墓のようなものだそうです。存在感に圧倒される!
DSC06193
(山口ザビエル記念聖堂) お二人の記念の場所ですね。

夜は「たつみ」さんにて会食。口を糊してきた自分のような若造には、勿体無いぐらいの食事でした。酸いも甘いも知り抜いた井藤夫妻のおおらかさに包まれて甘えてしまいました。チーフも貴重な休日をあけて頂き、しかも車の運転までありがとうございます。大人のゆったりした会食、楽しかったです!


(徳山)編

6時起床、7時出発。バイクを防府まで走らせ祖母の家に停める。電車で徳山へ向かい、徳山港からフェリーに乗り大津島を目指す。人間魚雷、「回天」の基地があった島だ。徳山港からフェリーに揺られて40分、大津島の馬島に到着。そこから徒歩で15分、山の中を歩き回天記念館を目指す。

DSC06206

DSC06213

DSC06214
「天を回らし、戦局を逆転させる」という願いを込めて、人間魚雷「回天」は誕生した。魚雷に大量の爆薬を搭載し、隊員自らが操縦して敵艦に体当たりするという特攻兵器。見学させてもらう前に慰霊碑へ参る。
DSC06204

DSC06210

DSC06209

DSC06207
神風特攻にしても、回天にしても、人のために命をかけることが尊い行為なのかは、自分にはまだ分からない。ただ、そうしなければならなかった状況は、なんとなく理解できる。当時に生まれ、当時のままの空気感であったら、戦争の必要性は抜きにして、日本の男ならやるでしょう。そういう血が日本人には流れていると自分は思う。回天記念館を後にして、トンネルを抜けて発射試験場へと向かう。実際は内火艇で沖合いに向かい、潜水艦に搭載した回天に乗り移って戦地へ赴いたそうです。
DSC06216

DSC06217

DSC06220

DSC06219

DSC06218

DSC06225

トンネルから先は誰もいない。トンボの群れだけが発射場のまわりを離れなかった。


(防府~東京)編

3時起床、3時半出発。別れ際、祖母が泣いておりました。自分が孫だという記憶が復活したようで嬉しかった。頻繁に来られる距離ではないので、一度の再会を大事にしないと後悔するなと強く思う。さあ東京へ帰ります。一人耐久レースのはじまりです。4時前に防府インターから山陽道へ上がり暗闇の道を東へ。ほとんど車が走っていません。広島あたりまで快調に走っておりました。ハイ、調子にのっていました。ハイ、パトカーにお世話になりました。ハイ、温情頂きました。ハイ、警告だったと戒めて再出発です。ハイ・・・ 岡山あたりで、急にゴムの焼ける匂いがして、走りながらバイクを見たけど異常が見当たらない。なんやろうと思っていたら、前を走っていた牽引の大型トレーラーの後方のタイヤがバーストした。ゴムの破片が飛び散り、スローモーションでゴムが向かってくる。おいおいおい・・・、と思っていたら今度はでかいタイヤが飛び出した。コロッ、コロッ、とこれまたスローモーションで向かってくる。減速してゆっくりとかわす。タイヤは中央分離帯に激突してさらに転がっていった。後の車は大丈夫だったのだろうか? それでもトレーラーは構わず走っているので、運転席に並走して片手でなんとか伝える。やっと状況が分かったらしく、運ちゃんがオーケーのサインをだしたんだけど、もの凄く迷惑そうな顔をしていた。そんな顔せんでもいいやろ、教えてあげたのに・・・ 神戸を過ぎると気が楽になる。ここからはだいたいの距離や時間がわかる。あとは事故せず違反せずで淡々と帰るのみ。この淡々というのが難しいよね~、変化が欲しいから速度も変わってしまうのさ。なんとか雨に遭遇せずにいたんだけど、御殿場でついに大雨に遭遇、また雨か・・・ 今回は雨が多かった。急ブレーキ、急ハンドル、車間距離、制動距離、最後まで気をぬかずに走る。そして16時半、やっと帰ってきました! 13時間で帰って来られた。もう少しかかると思っていただけに早く感じる。これなら東京~福岡あたりまでは一気にいけそうだ。今後の参考にする。今度は鹿児島の知覧にある特攻平和会館を、2日で往復しようと目標に決めた。

長文お付き合いありがとうございました。

総距離 2740km

DSC06228

東京へ戻る前日、バイクを濡らしたらいけんと言って祖母が傘をかけていた。

非常事態

Posted by – 2011年8月19日

YUTAKA
齊藤 豊

福島原発事故の収束めども立っていない状況の中、

泊原発3号機の営業運転再開した。

http://www.dailymotion.com/video/k1OUjmDniMVbOl2l4Zv#from=embed <01:40〜>

経産省出身である、高橋はるみ北海道知事は、

こどもたちの未来よりも、多額の交付金・自分自身の物理的幸福を選んだ。

既存メディアも、超大口スポンサーである電力会社に支配されている。

逆らえば存続に関わるゆえに、本来の機能を果たしていない、事実上、放棄している。

その既存メディアにより、日本はとてもたくみに情報統制されている。

とてもたくみに、騙されている。

ネットに希望あり。

発信の自由があり、発信の主権者として行動できる。

やりよう次第で、可能性は計り知れない。

革命だって有り得る。

資源エネルギー庁が、税金でツイッター、ブログなどを監視しようとする動きもあるが、

そう簡単にはいかないと思う。

民主主義、日本。

電力会社、メディア、国が

日本の現在・未来に不利益をまき散らしている。

「これ以上、奪わないでくれ! これ以上、殺さないでくれ!」

日本は、非常事態に置かれている。

http://www.ustream.tv/recorded/16604532

フリージャーナリスト岩上安見さんが、
泊原発反対活動をしてる泉かおりさんをインタビューしているのですが、
内容がかなりいいので、時間ある人、是非聴いてみて下さい。<total 1:25:00>
メディアの現状について岩上さんの洞察、<00:39:00 あたりから>は必聴です。